保育園の年長組全員で、図書館に行ったそうです。そして全員が1冊ずつ、自分で選んだ本を借りたそうです。
「あのね、『火垂るの墓』にしたの」と娘。
「えぇー、ママは泣いちゃうから、読みたくないよ」
「そう言われると思ったんだけど、どんな話か知りたかったから」
はぁ。夫と私がよく「あれだけはだめだ。自動的に泣いてしまう。トラウマだ。」などと話しているのを聞いて、かえって興味を持ってしまったのですね・・・。
しかたないので、「泣くかもしれないけど」と先に言って、夫が帰ってくる前に読んでやりました。
途中、せつこが「おかあちゃんはもう死んではるんやろ」「おばちゃんから聞いてん」という場面になって、清太が初めて涙を……というところで夫が帰ってきて、私は夕食の準備に入り、娘は一人で寝室に行って、隠れて続きを読みました。
しばらくたって、リビングに戻ってきた娘は、「ひとりで全部読んだよ。泣かなかった!」といばっていました。6歳ではまだ、清太の無念さはわからなかったみたいです。
ただ、親が死んで苦労した話だということはわかったようで、お風呂で、「ママは火垂るの墓みたいにならないでね。わたし、しんぱいになっちゃって」と言ってきて、夫に「だから読むなって言ったんだ!」と言われていました。
読んだ本の中で悲しいことがあって、それが心に深く刺さって、もう何年も抜けないままになっていることが、私にもいくつかあり、できれば娘には、その本を読んでほしくないと思います。「読むな」と言うかもしれません。でも、読むのよね。「読むな」って言われたら、必ず読むね。
親がどんなに石ころを片づけようとしても、子どもは自分で、石ころだらけの道を歩いて行ってしまう。それで、意外とケロッとしてる。『火垂るの墓』を読んだ娘の反応を見ていて、そんなことを思った夜でした。
ちゅーすけさん、おはようございます。
週明けから冷え込みが強まりそうですね。
一雨ごとに寒くなってくるこの時季は苦手です。
ご近所でも、今年は冬支度が心なしか早いような気がします。
『火垂るの墓』、わたしもダメです。
20年以上前に1度見たきり。
あまりに切なすぎて、悲しすぎて、
終戦記念日の頃にテレビで放送していても見ることができません。
わたしだけでなく家族もそうで、
我が家では本編のオンエアどころか
放送予告CMと出くわすたびにウルウルしてしまうのでした。
この夏、約20年ぶりくらいに何篇か小説を読み返しました。
好きな作家さんなんですが、
好きなだけに、読んだ当時に受けた印象・気持ち、
そのままでいたかったのか。
少し残ったままの悲しさも切なくて、
(もちろん、悲しいだけの小説ではないのですよ)
なかなか読み返せなかったのかもしれません。
若い頃に読んで好きな小説って、
中にはそういう作品がいくつかあるものかもしれませんね。
読み返してみて、
実際は、20ウン年前の自分よりも
静かに内側に流れてきた感じとでもいいましょうか(笑)。
若かった頃は、読みながら
もっと自分の感情も
ダイレクトにシンクロしていたような気がします。
時間の経過って、いろんな要素に繋がるようですね。
でも・・・『火垂るの墓』は・・・
まだまだわたしには、やっぱり見ることができません。
クローヴさん、こんにちは^^
おっしゃること、とてもとてもよくわかります。
初めて『火垂るの墓』をテレビで見たとき、
私は清太と同じ年頃だったので、完全にシンクロしていました。
西宮のおばさんは心底憎らしかったし、自分も壕で暮らせるような気がしたし、節子を死なせたのは自分だと思ったし、清太の死は自分の死のように感じました。
最初から最後まで泣きっぱなしでした。
今回、子供向けの絵本で『火垂るの墓』を読み直したら、
頭の中でいろいろツッコミが入って、感情移入できなくなっていました。
にぶくなったというか、強くなったというか・・・