カテゴリー別アーカイブ: 絵本・児童書

芥川龍之介『魔術』『トロッコ』

小学3年生の作文問題で、「あなたの前に魔法使いが現れました。ひつだけ願いをかなえてくれると言っています。なにを願いますか?」という課題がありました。

長女は「『願いはかなえてくれなくていいから、わたしに魔法を教えてください』と頼みます。願いはひとつじゃたりないし、自分が魔法使いになったら、すきなだけ願いをかなえられるからです。」と書いていて、苦笑してしまいました。

そんな長女に、芥川龍之介の『魔術』を読んでほしくて、この本を買いました。


杜子春・トロッコ・魔術 講談社青い鳥文庫/芥川龍之介

『魔術』は、インド人の青年から魔法を教えてもらう男の話です。ただし、欲を出してしまうと魔法は消えてしまう、という条件があります。自分が金持ちになりたいような人は魔法が使えないわけです。

男は「けっして欲を出さないから」と頼み込んで、魔術を教えてもらうのですが・・・。

芥川龍之介が『魔術』を発表したのは、1919年だそうです。ちょうど100年前ですね。100年たっても色あせない、スタイリッシュでハイカラな文体に、震えます。

『蜘蛛の糸』『杜子春』など、有名な作品がそろったこの本の中で、わたしが一番気に入ったのは、『トロッコ』でした。

子どものころに読んだはずなのですがすっかり忘れていて、「あれ?だれか死ぬんだっけ?」「ん?死なないでクリアしちゃった?どうなるんだっけ?」と、どきどきしながら読みました。

夕暮れ、知らない場所を歩く少年の心細さが自分の子供時代に重なり、何十年も前に見た夕日の色を思いだしてせつなくなります。

粋で、清潔で、上品で、残酷さやエロとは遠い作風。しかも、男前。子どものころから「芥川龍之介はかっこいいなぁ」と思っていました。

21世紀になった今でも、そして彼より年上になってしまった今でも、やっぱり芥川龍之介って、かっこいいなーって思うのでした。

戸田和代『きつねのでんわボックス』

​『きつねのでんわボックス』との最初の出会いは、長女が受講している「ドラゼミ※」の、国語の文章問題でした。(※「ドラゼミ」は2019年3月でサービス終了となり、別の通信教育が始まります。)

文章問題に取り上げられた作品はこれまでも、「全部読みたい。最後まで読みたい。」というリクエストを受けて、買ったり借りたりすることがありましたけれど、そんな本たちの中でも、『きつねのでんわボックス』は別格の輝きがあります。

ストーリーだけでなく、こどもの手のあたたかさや、やわらかさが伝わってくる、たくみな表現が本当にすばらしいです。


きつねのでんわボックス (新・ともだちぶんこ) [ 戸田和代 ]

とある電話ボックスに、毎日電話をかけに来る男の子がいます。

その男の子を見るために、毎日山から下りてくるきつねがいます。

きつねはこどもをなくした母親で、人間の子に自分の子を重ねているのです。

夫が亡くなったときは「ぼうやがいるからかなしくありませんでした」という、ちょっと薄情なきつねですが、ぼうやが亡くなったときは、泣いて、泣いて、なみだでからだがとけてしまうほど悲しみます。想像しただけで、つらい。

長女は「きつねのぼうや、はっちゃんみたいだね。こんなのがいなくなったら、かなしいよね。」と言いました。ほんとそう。あなたも、ちっちゃいころはこうだったよ。「みて、みて、すごい?」っていつも言ってたよ。

男の子が遠くへ引っ越すため、もう電話ボックスには来ないことを知って、悲しみに追い打ちがかかってしまったきつねは「行かないで。わたしはこれからどうすれば」と取り乱しますが、やがて男の子の幸せを願う気持ちに変わっていきます。

深い悲しみから、それでも前を向いて生きていこうとするきつねの姿が胸を打つ名作です。

上橋菜穂子『風と行く者』(守り人シリーズ最新刊)

1月も、もう31日。
このままだとブログ更新しない1年になってしまいそうなので、まだ読んでいない本のことを書きます。

遅くなりましたが、今年もよろしくお願いいたします。

完結した『精霊の守り人』に、まさかの新刊が出ました。

わたしはハードカバーのを買いました。が、かなり分厚くて、重いです。
持ち歩くのも重いけど、読むために本を持ち続けるのも重いという・・・(苦笑)

風と行く者 [ 上橋菜穂子 ]

同じタイトルで軽装版も出ています。値段も半分くらい。

風と行く者 [ 上橋菜穂子 ]

今週末から読み始める予定です。
読んだら、感想を書きます。

また、バルサに会える。うれしい。

若冲(児童書)

少し前のことですが、NHKスペシャルで江戸時代の絵師「伊藤若冲」の特集をやっているのを見てから、長女の絵がそれはそれはもうガラッと変わったのです。ものすごく写実的な絵を描くようになって。

今すぐには無理だけど、できるだけ近いうちに、娘と若冲の絵を見る旅に出かけたいって思います。やっぱり京都かなぁ。京都がいいなぁ。

そんなこんなで、『若冲』という児童書を買って読みました。児童書なので、大人の私は昼休みの30分くらいで読めました。

若冲 [ 黒田志保子 ]
若冲の絵がいくつか載っていると思って買ったんだけど、表紙以外に絵はひとつもなかった。挿絵もなし。さすがに小1には無理と思って、目下封印中です。

図書館で画集を借りてみようかな。

ヘレン・ケラー

小学1年生の長女が「ヘレンケラーってどういうお話?」と聞いてきたので、「お話じゃないよ。ほんとうにいた人の名前だよ。」と答えました。

「なにをした人なの?」

「目が見えなくて、耳が聞こえなくて、、、えーと、??」
なんと、私もヘレンケラーが「なにをした人」なのか知らないのでした。

で、娘と一緒に読みたいと思って、児童書(まんが)を買いました。


読み始めたら、1分に1回くらい、泣いてました。もう涙が勝手にでてくる感じです。娘はケロリとしていたので、私はヘレンのことを親の目線で見てしまうから泣いてしまうんだろうなぁ、と思います。

ヘレンが熱を出したのが、1歳7ヶ月。
(次女と同じくらいです。まだよちよち歩きで、どんどんおしゃべりが上手になってくるころだったんだなー。涙)

サリバン先生と出会ったのが、7歳。
(長女と同じくらいです。2歳から7歳までの5年間、見えない聞こえない子を育てるのは大変だっただろうな。涙涙)

両親や兄たちの愛情を一身に受けていた5歳のころに妹が生まれ、「ヘレンがいたら赤ちゃんを守れない。施設に入れるしかない」と言ってしまうお父さんの気持ちも、悲しいけどすごくわかります。

でも、目も耳も不自由だと、施設も簡単には受け入れてくれず。SOSを出し続けること2年、やっとサリバン先生が到着します。このとき、サリバン先生は20歳!そんなに若かったとは!ビックリです。

その後、サリバン先生が一度は結婚したこと、ヘレンと結婚相手の3人で暮らしたこと、けれど離婚したこと。知らないことばかりでした。

ヘレン・ケラーが日本に来たことがあったのは知っていたけど、その前にサリバン先生が亡くなっていたのも、知りませんでした。一緒に来たのだと、思っていました。

10年以上前、夫と箱根の富士屋ホテルに宿泊したとき、廊下の壁に「ヘレン・ケラーが来日したときここに泊まった」という資料が貼ってあるのを見たことがあります。

富士屋ホテルの花御殿(私たちが宿泊したのは、たしか「桔梗」だったと思う)に、今度は娘を連れて泊まってみたいです。そしてヘレンの資料を一緒に見たいな、と思いました。

——————————————-

さて、「ヘレン・ケラーって、なにをした人なの?」と聞かれたら、

これからは、

「重い障害があったけど、自分でお金を稼いで暮らした人」と答えます。

障がい者でも自分で働き、お金を得て、自立することが大切だと言い続けたヘレン。働いてお金をいただき、暮らしていけるありがたさを、あらためて考えさせられた一冊でもありました。