幼なじみと2人でこそこそ、くすくす。庭で集めた何かで、何か作っていました。白いのはボンドです。
なにを作ったのか全く分かりませんが、楽しかったそうです。
落ち葉を拾って、おねえちゃんに「はい、どうぞ」する。それだけ。
周りの落ち葉がなくなるまで、延々続きます。
下着とタオル類とパジャマは、ぜんぶ、ドラム式洗濯乾燥機で一気に洗濯から乾燥までしてしまいます。(ただし乾燥機にかけると衣類は縮むので、下着じゃない服は、つるして干してます。)
洗濯乾燥機で一気に洗って乾燥させた洗濯物。次女さんが全部カゴから出してくれました。
一生懸命、ぐちゃぐちゃにしていきます。
いいんです、それでも。
「だっこ、だっこ」と後を追われるより、ずっといい。ほんの10秒でいい、手が離れてくれたら、それだけで助かる。
保育園の年長組全員で、図書館に行ったそうです。そして全員が1冊ずつ、自分で選んだ本を借りたそうです。
「あのね、『火垂るの墓』にしたの」と娘。
「えぇー、ママは泣いちゃうから、読みたくないよ」
「そう言われると思ったんだけど、どんな話か知りたかったから」
はぁ。夫と私がよく「あれだけはだめだ。自動的に泣いてしまう。トラウマだ。」などと話しているのを聞いて、かえって興味を持ってしまったのですね・・・。
しかたないので、「泣くかもしれないけど」と先に言って、夫が帰ってくる前に読んでやりました。
途中、せつこが「おかあちゃんはもう死んではるんやろ」「おばちゃんから聞いてん」という場面になって、清太が初めて涙を……というところで夫が帰ってきて、私は夕食の準備に入り、娘は一人で寝室に行って、隠れて続きを読みました。
しばらくたって、リビングに戻ってきた娘は、「ひとりで全部読んだよ。泣かなかった!」といばっていました。6歳ではまだ、清太の無念さはわからなかったみたいです。
ただ、親が死んで苦労した話だということはわかったようで、お風呂で、「ママは火垂るの墓みたいにならないでね。わたし、しんぱいになっちゃって」と言ってきて、夫に「だから読むなって言ったんだ!」と言われていました。
読んだ本の中で悲しいことがあって、それが心に深く刺さって、もう何年も抜けないままになっていることが、私にもいくつかあり、できれば娘には、その本を読んでほしくないと思います。「読むな」と言うかもしれません。でも、読むのよね。「読むな」って言われたら、必ず読むね。
親がどんなに石ころを片づけようとしても、子どもは自分で、石ころだらけの道を歩いて行ってしまう。それで、意外とケロッとしてる。『火垂るの墓』を読んだ娘の反応を見ていて、そんなことを思った夜でした。
パソコンを整理していた夫が、こんな1枚を見つけました。
長女が3歳のころ、とあるカフェの入り口で撮った写真です。
バラの季節で、カフェの周りにもたくさんの花が咲いていました。水を飲もうとしているのか、看板猫が花で埋まったバケツに首を伸ばしています。
私も夫も庭作りに夢中で、あちこち見て歩いていた頃でした。娘も、よく連れまわされていました。写したときはなにも考えていなかったけど、後で見ると夢のようです。