寝る前に、電気を消した部屋で、
「おやすみ、ママの天使ちゃん。今日もいっぱいお手伝いしてくれて、ありがとね」と言ったら、長女は「うんうん」とうなづいて目を閉じたのですが、
次女はガバッと起きて、「てんしじゃないよ!」と言うではないですか。
「てんしじゃないよ!いっさいよ!」だって。
あーびっくりした。そうね、1歳ね。
わかってんだか、わかってないんだか。
寝る前に、電気を消した部屋で、
「おやすみ、ママの天使ちゃん。今日もいっぱいお手伝いしてくれて、ありがとね」と言ったら、長女は「うんうん」とうなづいて目を閉じたのですが、
次女はガバッと起きて、「てんしじゃないよ!」と言うではないですか。
「てんしじゃないよ!いっさいよ!」だって。
あーびっくりした。そうね、1歳ね。
わかってんだか、わかってないんだか。
バンダナが好き。
お掃除だって、はりきっちゃうよ~。
語録(1歳4ヶ月)を書いたのが1月で、そのあとすぐに語録(1歳5ヶ月)を書こうと思ってメモしていたのに、書かないままになっていました。メモをなくすともったいないので、書いておきます。
ききぃたん・・・キティちゃん
ぷーたん・・・くま全般(リラックマも「ぷーたん」でした)
どうたん・・・ぞうさん
もむ・・・飲む
だいだい・・・大根
だい・・・ちょうだい
たっけて!・・・たすけて
まめ!・・・だめ
がっこ・・・だっこ
ごっこいしょ・・・どっこいしょ
「ここよ」と言うようになったのも、このころ。
とくに、せまいところに入っていって身動きが取れなくなり、「ままたっけてぇ~」とよく言ってました。困った顔がかわいかったな。
2016年2月ごろの写真(2人とも「太鼓の達人」が好きです。)
1歳6ヶ月を過ぎると、どんどん言葉が増えて、メモも追いつかなくなって、記録するのをやめてしまったのですが・・・
1歳8ヶ月の現在は、
アナと雪の女王の歌を「ありの~ままの~おかかするのよ~」と歌ったり、「せんせんとおともだち」という歌を「せんせいと~おもち」と歌ったりして、ごきげんな毎日です。
でもビデオカメラを向けると歌うのをやめてしまうのよね。かわいい姿を残しておきたいんだけどなぁ。
カゴメの野菜生活を見た次女が、
「りんごとー、みかんとー、にんじんとー、とまととー」と説明しています。
それから、
「うさぎ、はいってる?」と聞きました。
ふふふ、はいってるかなぁ?
どう?
「うーん・・・はいってる!」
小学1年生の長女が「ヘレンケラーってどういうお話?」と聞いてきたので、「お話じゃないよ。ほんとうにいた人の名前だよ。」と答えました。
「なにをした人なの?」
「目が見えなくて、耳が聞こえなくて、、、えーと、??」
なんと、私もヘレンケラーが「なにをした人」なのか知らないのでした。
で、娘と一緒に読みたいと思って、児童書(まんが)を買いました。
読み始めたら、1分に1回くらい、泣いてました。もう涙が勝手にでてくる感じです。娘はケロリとしていたので、私はヘレンのことを親の目線で見てしまうから泣いてしまうんだろうなぁ、と思います。
ヘレンが熱を出したのが、1歳7ヶ月。
(次女と同じくらいです。まだよちよち歩きで、どんどんおしゃべりが上手になってくるころだったんだなー。涙)
サリバン先生と出会ったのが、7歳。
(長女と同じくらいです。2歳から7歳までの5年間、見えない聞こえない子を育てるのは大変だっただろうな。涙涙)
両親や兄たちの愛情を一身に受けていた5歳のころに妹が生まれ、「ヘレンがいたら赤ちゃんを守れない。施設に入れるしかない」と言ってしまうお父さんの気持ちも、悲しいけどすごくわかります。
でも、目も耳も不自由だと、施設も簡単には受け入れてくれず。SOSを出し続けること2年、やっとサリバン先生が到着します。このとき、サリバン先生は20歳!そんなに若かったとは!ビックリです。
その後、サリバン先生が一度は結婚したこと、ヘレンと結婚相手の3人で暮らしたこと、けれど離婚したこと。知らないことばかりでした。
ヘレン・ケラーが日本に来たことがあったのは知っていたけど、その前にサリバン先生が亡くなっていたのも、知りませんでした。一緒に来たのだと、思っていました。
10年以上前、夫と箱根の富士屋ホテルに宿泊したとき、廊下の壁に「ヘレン・ケラーが来日したときここに泊まった」という資料が貼ってあるのを見たことがあります。
富士屋ホテルの花御殿(私たちが宿泊したのは、たしか「桔梗」だったと思う)に、今度は娘を連れて泊まってみたいです。そしてヘレンの資料を一緒に見たいな、と思いました。
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さて、「ヘレン・ケラーって、なにをした人なの?」と聞かれたら、
これからは、
「重い障害があったけど、自分でお金を稼いで暮らした人」と答えます。
障がい者でも自分で働き、お金を得て、自立することが大切だと言い続けたヘレン。働いてお金をいただき、暮らしていけるありがたさを、あらためて考えさせられた一冊でもありました。