小学1年生の長女が「ヘレンケラーってどういうお話?」と聞いてきたので、「お話じゃないよ。ほんとうにいた人の名前だよ。」と答えました。
「なにをした人なの?」
「目が見えなくて、耳が聞こえなくて、、、えーと、??」
なんと、私もヘレンケラーが「なにをした人」なのか知らないのでした。
で、娘と一緒に読みたいと思って、児童書(まんが)を買いました。
読み始めたら、1分に1回くらい、泣いてました。もう涙が勝手にでてくる感じです。娘はケロリとしていたので、私はヘレンのことを親の目線で見てしまうから泣いてしまうんだろうなぁ、と思います。
ヘレンが熱を出したのが、1歳7ヶ月。
(次女と同じくらいです。まだよちよち歩きで、どんどんおしゃべりが上手になってくるころだったんだなー。涙)
サリバン先生と出会ったのが、7歳。
(長女と同じくらいです。2歳から7歳までの5年間、見えない聞こえない子を育てるのは大変だっただろうな。涙涙)
両親や兄たちの愛情を一身に受けていた5歳のころに妹が生まれ、「ヘレンがいたら赤ちゃんを守れない。施設に入れるしかない」と言ってしまうお父さんの気持ちも、悲しいけどすごくわかります。
でも、目も耳も不自由だと、施設も簡単には受け入れてくれず。SOSを出し続けること2年、やっとサリバン先生が到着します。このとき、サリバン先生は20歳!そんなに若かったとは!ビックリです。
その後、サリバン先生が一度は結婚したこと、ヘレンと結婚相手の3人で暮らしたこと、けれど離婚したこと。知らないことばかりでした。
ヘレン・ケラーが日本に来たことがあったのは知っていたけど、その前にサリバン先生が亡くなっていたのも、知りませんでした。一緒に来たのだと、思っていました。
10年以上前、夫と箱根の富士屋ホテルに宿泊したとき、廊下の壁に「ヘレン・ケラーが来日したときここに泊まった」という資料が貼ってあるのを見たことがあります。
富士屋ホテルの花御殿(私たちが宿泊したのは、たしか「桔梗」だったと思う)に、今度は娘を連れて泊まってみたいです。そしてヘレンの資料を一緒に見たいな、と思いました。
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さて、「ヘレン・ケラーって、なにをした人なの?」と聞かれたら、
これからは、
「重い障害があったけど、自分でお金を稼いで暮らした人」と答えます。
障がい者でも自分で働き、お金を得て、自立することが大切だと言い続けたヘレン。働いてお金をいただき、暮らしていけるありがたさを、あらためて考えさせられた一冊でもありました。